「島崎城跡を守る会」茨城県潮来市に残る、室町時代中期に築城された島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。
日常の活動情報を共有化して、「島崎城跡を守る会」を発展していく。<br>
特別投稿論文 【新皇将門】 茨城県神栖市 森田衛氏投稿 第9節
茨城県神栖市在住の森田衛氏より、平将門の研究論文を投稿頂きました。今回、13回シリーズの第9節を掲載致します。第9節:将門の羽鳥攻め新皇将門⑨(常世の国の夢を追い求め、純粋に突き進んだ男の生涯)将門の羽鳥攻め承平7年(937年)10月1ヶ月ほど経つと将門の病気も良くなってきた。将門は卑劣な良兼を何としても討って「君の御前や子供達ち」の恨みを晴らさねばと千八百人の兵を動員して平良兼の館「羽鳥の館(桜川市真壁町羽鳥)」を目指した。なお、七百の兵を石井の営所に残して、弟たちには留守を頼んだ。将門の軍が真壁郷に入ると、将門は兵たちに「良兼伯父や源護に与力する郎党の舎宅は全部焼け、抵抗する者はたとえ農民でも殺せ。」と命じた。そして「暴行、略奪は思いのままにせよ。」と告げた。そのくらいの事をやらなければ飯沼(猿島郡葦...特別投稿論文【新皇将門】茨城県神栖市森田衛氏投稿第9節
特別投稿論文 【新皇将門】 茨城県神栖市 森田衛氏投稿 第11節
茨城県神栖市在住の森田衛氏より、平将門の研究論文を投稿頂きました。今回、13回シリーズの第11節を掲載致します。第11節:武蔵国の調停乗り出し新皇将門⑪(常世の国の夢を追い求め、純粋に突き進んだ男の生涯)武蔵国の調停乗り出し天慶2年(939年)2月、「都」にいた興世王が武蔵国の権守を命ぜられていた。興世王は桓武天皇の血を引く名門の出ではあるが元来無軌道なところがあるので政権を握る藤原氏にはさっぱり認められないでいたのだが突然、武蔵国の権守を命ぜられた。同じ武蔵国の介の職には源径基が任命された。径基もやはり名門(清和源氏、皇族)の出であった。二人は坂東に下った。武蔵国はしばらく守も介も空席となっていた。武蔵国では郡司の武蔵武芝が国司の代理を務めていたが、興世王と径基は着任するやすぐに庁内に入って掻き回し、様...特別投稿論文【新皇将門】茨城県神栖市森田衛氏投稿第11節
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