「島崎城跡を守る会」茨城県潮来市に残る、室町時代中期に築城された島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。
日常の活動情報を共有化して、「島崎城跡を守る会」を発展していく。<br>
「城跡フェスタ」in島崎城跡2025が開催されました。当日は天気に恵まれ、約500名の方が参加して頂きました。会場は土子越前屋敷を中心にイベントが開催されました。「島崎城跡を守る会」の会員及び地元のボランティアグループ「牛堀親爺の会」と城跡周辺の主婦の方たちが前日より準備して対応しました。当日の画像を紹介します。【受付を待つ参加者】【タケノコ掘り体験会】【ヤギさんとのふれあい】【タケノコご飯・豚汁提供】【城跡ライブ】「城跡フェスタ」in島崎城跡2025が開催されました。
「城跡フェスタin島崎城跡2025」が新聞・タウンニュースに掲載されました。
「城跡フェスタin島崎城跡2025」が新聞・タウンニュースの掲載記事を紹介します。令和7年5月8日発行の茨城新聞の鹿行版と5月11日発行のマイ・タウン21に掲載されております。「城跡フェスタin島崎城跡2025」が新聞・タウンニュースに掲載されました。
特別投稿論文 【新皇将門】 茨城県神栖市 森田衛氏投稿 第5節
茨城県神栖市在住の森田衛氏より、平将門の研究論文を投稿頂きました。今回、13回シリーズの第5節を掲載致します。第5節:仕掛けられた合戦新皇将門⑤(常世の国の夢を追い求め、純粋に突き進んだ男の生涯)仕掛けられた合戦(野爪(野本)の合戦)野爪(野本)という場所は、旧、真壁郡明野町周辺と思われ今の筑西市赤浜辺りとする説が有力視されている。承平5年(935年)2月、将門は郎党百騎ほど引き連れて豊田の館を立った。開墾に着手した広大な土地の一つが下野国へまたがるので下野の庁へ赴いて了解を求めるためであった。下野街道を野毛川(鬼怒川)に沿って行くと、やがて草地が細長く続き左右が雑木林になっている所に差し掛かった時、前方中程左右の林の中に、二、三百騎くらいの兵が潜んでいることに気づいた。すぐさま援軍を頼むために二騎を豊田...特別投稿論文【新皇将門】茨城県神栖市森田衛氏投稿第5節
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