動禅体操とゆる体操とヨガ 2
動禅体操が乞食禅状態から抜け出るためには、何かが必要な気がしてきている。ヨガのことを考えていたら、ヨガにある目的の要素が煩わしいと言うことになる。ヨガは乞食禅なのだと考えると分りやすい。乞食禅丸出しの私が書くのも何なのだが。別段ヨガに因縁を付けようと言うことではない。こういう乞食禅的、欲しい欲しいの浅ましい修行法は、やはり商業主義から生まれたものだろう。ヨガでも、今や禅でもカルチャーセンターである。生徒を集めるためには、先ずは効能の宣伝である。禅を行っても何かを得られるわけではない。本来の禅の修行では只管打坐である。ヨガにある効能が先に来る考え方は、インド哲学の要素なのではないだろうか。インド的に言えば、行動するには観念的な裏付けが必要なのだ。呼吸法に様々な尾ひれが付く。この最もらしさが、ヨガ教室が広がっ...動禅体操とゆる体操とヨガ2